「ヘイ カール」の背景 当人語る
2025/06/07 (土曜日)
スポーツニュース
「ヘイ!カール!」は「嬉しかった」 伝説カール・ルイス氏が語る長嶋茂雄さんの思い出
2025年6月3日に戦後最大のスターとして知られる巨人終身名誉監督・長嶋茂雄さんが逝去した報に接し、国内のみならず世界中から惜しむ声が寄せられています。中でも、1991年に東京で開催された世界陸上競技選手権の観客席から長嶋さんが発した「ヘイ!カール!」という呼びかけは、日本のスポーツ史に残る名場面としていまなお語り継がれています。本稿では、その背景にある両者の経緯と交流、そして当時の世界陸上が持った意義をあらためて振り返ります。
長嶋茂雄さんは1958年に巨人に入団し、華麗な打撃と愛されキャラクターで「ミスタープロ野球」と呼ばれました。現役引退後も監督として1975・76年の日本シリーズ連覇を果たし、スタジアムには常に満員の観客が詰めかけました。その後もテレビ解説者やレポーターとしてスポーツ全般に顔を出し、野球を超えた国民的スターとして日本のスポーツ文化を支えてきました。
一方、アメリカのカール・ルイスは1984年ロサンゼルス五輪で100m・200m・走り幅跳び・4×100mリレーの4冠を達成し、陸上の歴史を塗り替えました。1988年ソウル五輪でも金メダルを獲得し、1991年の世界陸上東京大会では100m決勝で当時の世界記録を9秒86にまで引き上げています。世界記録保持者としてトラック上に君臨したルイスを、同時代の日本の大スターが讃えたのが「ヘイ!カール!」の瞬間でした。
1991年8月23日から31日にかけて国立競技場で行われた世界陸上は、東西ドイツ合併後初の大会であり、日本での開催も初めてでした。会場は五輪を彷彿とさせる熱気に包まれ、観衆は競技だけでなく、訪日した多くの世界的アスリートを一目見ようと全国から詰めかけました。長嶋さんは取材リポーターとして最前列におり、世界最高峰の一瞬を自らの声で祝福したのです。
このシーンは日本テレビをはじめ各局で繰り返し放映され、翌日以降の新聞一面にも躍りました。ルイス自身も「あの声ですぐに長嶋さんだとわかった。とても嬉しかった」と語り、日本スポーツ界の“異種競技コラボ”を象徴する瞬間となりました。
長嶋さんは打席に立つたびにファンの期待を背負い、ルイスは一度のスタートで世界記録に挑みました。勝負に懸ける真剣な眼差し、観衆を魅了するパフォーマンスは異種スポーツでありながら、根底では同じ「栄光への執念」を具現化していたといえます。
「ヘイ!カール!」以降も両者は複数のスポーツイベントで再会し、記念撮影やトークショーを行うなど親交を深めました。日本でのワールドマスターズ大会やオリンピック招致PRイベントに長嶋さんが登壇した際には、ルイスがゲスト出演するシーンもあり、スポーツの枠を超えた相互理解を促進しました。
長嶋茂雄さんの訃報を受け、改めて浮かび上がるのは競技の異なる二つの「巨星」がひとつの瞬間で結びついたドラマです。「ヘイ!カール!」は単なる声援ではなく、日本の国民的英雄が世界記録保持者を讃えた、スポーツ文化交流の金字塔でした。この伝説的な一幕は、両者の栄光と情熱を後世に伝える永遠の名シーンとして語り継がれるでしょう。
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