ウルフ・アロン引退会見 悔いない
2025/06/10 (火曜日)
スポーツニュース
柔道男子100kg級・ウルフアロンが引退会見「悔いは全くない」今後は「自分自身が表に立ちたい気持ちが強い」
2025年6月10日、東京オリンピック・パラリンピックで金メダルを獲得するなど世界を舞台に活躍した柔道男子100kg級のウルフ・アロン(29)が、現役を引退すると都内で会見しました。会見でウルフは「悔いは全くない」「今後は自分自身が表に立ちたい気持ちが強い」と語り、次のキャリアステージへの意欲を示しました。
ウルフ・アロンは1996年10月27日生まれ、埼玉県出身。父親はアメリカ出身のボクシング元アマチュア選手、母親は日本人というハーフの家庭に育ちました。高校時代に柔道を始め、東海大学に進学後は全日本大学柔道選手権で活躍。卒業後は日本体育大学柔道部に所属しながら、国際大会で次々と結果を残しました。
特に東京2020では決勝でトルコのエレン・ドラガイ選手を破り、日本柔道史上4人目の男子100kg級オリンピック金メダリストとなりました。
柔道100kg級はかつて「無差別級」として存在し、男子では1964年東京五輪から導入された重量区分の一つです。階級制導入前の無差別級王者としては山下泰裕(1984年ロサンゼルス五輪)らが知られ、100kg級は「パワーとテクニックの両立」が求められるクラスとして人気を博しています。ウルフはその伝統を継ぐ世代の代表格でした。
ウルフの特徴は、俊敏な仕掛けと的確な技選択にあります。体格で勝る大型選手に対しても、鋭い足技や内股、背負投などを繰り出し、相手の重心を崩す「動く柔道」を展開しました。また、試合後の相手や審判への敬意を込めた丁寧な所作も評価され、国内外のファンから人気を集めました。
同階級のライバルには、ロシアのニクライ・ユベンスキー選手、フランスのマティアス・アブデルモン選手、トルコのエレン・ドラガイ選手らがおり、世界大会の決勝で幾度も激闘を繰り広げました。とくに東京五輪決勝の逆転一本勝ちは、日本柔道史に残る名場面として語り継がれています。
会見でウルフは「大好きな柔道を続けられたことに感謝している」「満足のいくキャリアを全うできた」と述べ、引退に悔いはないと強調しました。続けて「選手としてだけでなく、これからは解説者や指導者、スポーツ振興のアンバサダーとして、柔道界の発展に寄与したい」と今後の抱負を語りました。
近年のトップ柔道家の引退例としては、谷亮子(57kg級金メダリスト)、野村忠宏(60kg級3大会金メダリスト)、山下泰裕(無差別級金メダリスト)らがおり、いずれも引退後は自民党議員、コーチ、スポーツ庁長官など多方面で活躍しました。ウルフも同様の道を歩む可能性が高く、その動向に注目が集まっています。
多くの引退柔道家は、
1) コーチ・指導者として道場や大学の監督を務める/2) マスメディアの解説者に転身/3) スポーツ行政やNOC役員として組織運営に携わる
などの道を選択します。ウルフはアスリート経験を活かし、「自分自身が表に立ちたい」と語っており、テレビ解説やスポーツ振興イベントへの登壇、公益法人での活動などが期待されます。
ウルフは「オリンピアンとして後進育成に携わりたい」との意欲を示し、特に幼児期の柔道導入プログラム「遊び柔道」や地域クラブ支援「こども柔道アカデミー」への関与を表明しました。これまで大学柔道や実業団が中心だった普及活動を、より幅広い層へ広げる役割を担う可能性があります。
柔道男子100kg級の頂点で活躍し、東京五輪金メダルをはじめ数々の実績を残したウルフ・アロン選手が現役を引退。選手生活に「悔いは全くない」と胸を張り、今後は解説者や指導者、アンバサダーとして新たな挑戦を宣言しました。数多くの名勝負を繰り広げたウルフのこれからの歩みは、柔道界の未来を担う世代に大きな期待と希望をもたらすことでしょう。
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