ブラジル、「日本移民の日」に法要 慰霊碑前で開拓物故者追悼
2025/06/19 (木曜日)
法要には日系人団体の関係者ら約60人が集まり、開拓物故者らを追悼した。5日には秋篠宮家の次女、佳子さまも慰霊碑に供花し、拝礼された。
参列した清水享駐サンパウロ総領事は「慰霊碑には志半ばで倒れた人々がまつられている。皇族や日本の要人の方々が、サンパウロでの最初の行事として参拝することの意味は深く、尊いものがある」とあいさつした。
首都ブラジリアでは佳子さまのブラジル訪問や移民の日に合わせ、10
2025年6月5日、ブラジル・サンパウロ市にある日本人移民慰霊碑前で、日系人団体や関係者約60人が集い、開拓期に命を落とした先人たちを追悼する法要が営まれました。式典には秋篠宮家の佳子さまもご参列され、献花と拝礼をなさいました。参列された清水享駐サンパウロ総領事は「志半ばで倒れた人々が祀られている慰霊碑を、皇族や日本の要人が初の行事として訪れる意義は深く尊い」と語り、日伯両国の絆の強さを象徴する行事となりました。
日本人移民がブラジルへ初めて渡ったのは1908年の笠戸丸航海が始まりで、戦前・戦後を通じて約20万人が農業開拓に従事しました。しかし、熱帯の風土病や過酷な労働条件のため、数千人が現地で命を落とし、遺骨は故郷に戻せず放置されることもありました。1967年、日伯両国の日系人有志が中心となってサンパウロ市郊外に「日本人移民慰霊碑」を建立。以後、毎年6月1日(移民の日)前後に追悼法要が営まれています。
2025年は日本とブラジルの国交樹立125周年、移民開始117周年にあたり、皇族の公式訪問は日伯関係史上でも極めて異例です。佳子さまは日本政府の親善使節として、サンパウロでの日系社会支援活動や文化交流プログラムにも参加。今回の慰霊参拝は、移民の苦難と苦労を振り返り、日伯友好の礎を再確認する象徴的な行動となりました。
当日は午前10時に開始。平服の参列者約60人がまず導師による読経を静かに聞き、続いて日系団体代表が追悼の辞を述べました。次に佳子さまが慰霊碑前に献花、全員が一礼し、静かな黙祷を捧げました。その後、日伯両国の国歌演奏と、在伯日本人学校の児童による合唱が営まれ、和やかな雰囲気の中で閉式しました。
サンパウロには現在約150万人の日系人・その子孫がおり、ブラジル最大の日系コミュニティを形成しています。最近は現地混血世代も含めた若年層のアイデンティティ再確認が進む中、皇族訪問は「日本との精神的繋がり」を改めて意識させる契機となりました。訪問中、日系文化センターや日伯ビジネス交流イベントにも出席され、多くの現地メディアが大きく報じました。
これまで皇族のブラジル訪問は1986年の高松宮宣仁親王殿下が最後でしたが、当時は代表的な都市の表敬訪問が中心でした。今回は移民慰霊碑への参拝が主目的となり、日系人個々の苦難に寄り添う姿勢が評価されています。先の宣仁殿下の訪問では、サントス港での歓迎行事が最大の華やぎでしたが、今回はあえて「黙祷」に重点を置き、参列者の感情と連帯を重視しました。
日系人ネットワークを活用した日伯間の技術協力や地方自治体交流は拡大傾向にあり、サンパウロ州政府は日本の中小企業支援や農業技術移転を重視しています。皇族訪問を契機に、文化祭や食文化フェア、青少年交流プログラムなども予定され、日伯交流は更なる深化が期待されます。
サンパウロで営まれた追悼法要は、移民として苦難を乗り越えた先人への深い感謝と、日伯友好の未来を見据える誓いの場となりました。佳子さまの献花と拝礼は、日系社会に対する日本国としての真摯な想いを示し、世界に向けて「多文化共生」のメッセージを発信する重要な機会となりました。
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