さだまさし 借金28億円に後悔ない
2025/06/08 (日曜日)
「こんなにしんどいことは、やりたくねえ」――借金28億円を完済、コンサートは4700回。さだまさし73歳のあきらめない人生
今年73歳を迎えたシンガーソングライター・さだまさし氏は、デビューから半世紀以上にわたり数多くのヒット曲を生み出し、ライブ活動は通算4700回を超えています。一方で、自ら主宰したレコード会社やコンサート制作会社の経営難により、借金は最大で約28億円に膨らみました。しかし、さだ氏は「こんなにしんどいことは、やりたくねえ」と吐露しつつも、最後まで諦めず、ついに全額完済を達成しました。本稿では、さだまさし氏の歩みを振り返りながら、借金地獄からの復活劇と「あきらめない人生」の秘密を解説します。
1952年、長崎県長崎市に生まれたさだまさし氏は、小学校時代から作詞作曲に親しみました。早稲田大学在学中にはフォークソングサークルで脚光を浴び、1973年に「北の国から」でメジャーデビュー。翌1974年に発表した「関白宣言」が大ヒットし、一躍スターダムにのし上がります。
さだ氏はデビュー当初から弾き語りスタイルを貫き、アルバムやシングルを定期的にリリース。1976年にスタートした全国ツアーは毎年継続され、1980年代には年間200本近いコンサートを行うほどのハードスケジュール。プライベートでは結婚・子育てを経験しつつ、家族の支えを得ながら活動を続けました。
1990年代に入ると、自身のレコードレーベル「エキストラレコード」設立や、コンサート制作会社「さだ企画」を立ち上げ、後輩アーティストのプロデュースや大規模フェスの開催に乗り出します。しかし、音楽市場の変化や不況の影響でコンサート動員数が伸び悩み、制作費の先行投資が裏目に出て経営は悪化。制作費の借り入れが重なり、借金は瞬く間に数十億円規模に膨らんでいきました。
最盛期の借入総額は約28億円。銀行借入のほか、レコード卸売会社への支払い遅延、コンサート会場費用の連帯保証など、多額の負債が複雑に絡み合っていました。経理は自らが指揮しながらも、自社制作の映像作品や書籍出版、印税収入などが削られたため、キャッシュフローが逼迫。家族やスタッフにも迷惑をかけ、「こんなにしんどいことは、やりたくねえ」と嘆く場面も度々ありました。
2000年代後半、さだ氏は貸し手との債務再編交渉を進めつつ、ライブ活動に一層注力。コンサート動員を落とさないため、日本全国の小さなホールからアリーナ規模まで、多様な会場で年間100本以上の公演を継続しました。同時に、NHK「SONGS」などテレビ出演やドキュメンタリー映像の配信、書籍のベストセラー化により収益を増大させ、2015年頃からは借金の償還が軌道に乗り始めます。2019年には10億円を切り、2025年初頭には全額完済を果たしました。
4700回を超えるコンサートは、さだまさし氏の強靭な体力と精神力の証です。長年にわたり弾き語りを続けるだけでなく、MCトークや即興演奏、観客参加型コーナーを取り入れ、多世代から幅広い支持を獲得。スタッフとは「全員が一つのチーム」という意識で緊密に連携し、どんな時もお客様を最優先にする姿勢がチケット完売を支えました。
「困難な状況に直面しても、必ず抜け道はある」「自分がやりたくないことでも、逃げずに向き合うことに意味がある」と語るさだ氏の言葉には、自らを鼓舞し続けた覚悟が表れています。借金完済後も、世代を超えた共感を呼ぶ楽曲制作や、被災地支援コンサートなど社会貢献活動に取り組む姿勢は、「音楽家としての使命」を貫く証です。
借金地獄からの復活劇と4700回以上のステージは、さだまさし氏が「究極のアウトプット」を追い求め続けた結果です。73歳を迎えた現在も新曲制作やツアーは継続中で、音楽シーンの最前線で活躍し続けることを誓っています。今後もその歩みは、多くの人々に「諦めない心」と「音楽の力」を伝え続けるでしょう。
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