力石徹のモデル 山崎照朝氏が死去
2025/06/23 (月曜日)
【訃報】極真空手の第1回全日本王者、山崎照朝氏が死去!力石徹のモデルでも有名に
空手家でジャーナリストの山崎照朝(やまざき てるとも)氏が2025年6月22日、胆管がんのため77歳で逝去されました。故人の家族は23日、SNSで訃報を発表し、多くのファンや弟子らが追悼の言葉を寄せています。(出典:Yahoo!ニュース2025年6月23日)
山崎氏は1947年、山梨県大和村(現・甲州市)生まれ。都留高校在学中に大山倍達師範が創始した極真会館に入門し、長時間の筋力稽古と体力強化を続けました。高校卒業後、日大農獣医学部に進学しながら稽古に励み、1969年にはわずか数年で黒帯(初段)を取得。その驚異的な成長速度は門下生の励みとなりました。
1969年9月、東京・代々木で開催された第1回極真会館全日本選手権。山崎氏は関東予選を勝ち抜き、決勝でムエタイ強豪を相手に完勝。蹴り技と打撃を鋭く融合させた戦法で優勝を飾り、「最強の空手家」として格闘技界に衝撃を与えました。以後、極真空手の名は国内外に轟きました。
全日本王者となる以前の1969年4月、山崎氏はテレビ番組の企画でムエタイ選手と異種格闘技ルールで対戦し、初回KO勝利を収めました。この一戦はテレビ放映され、日本の格闘技ファンに新たな興奮をもたらし、海外雑誌『Black Belt Magazine』にも紹介されました。
その精悍なマスクと不屈の闘志は、ちばてつや氏の劇画『あしたのジョー』に登場するライバル・力石徹のキャラクター創造に影響を与えました。作中の力石は不器用ながらも真っすぐに相手に立ち向かう姿が描かれ、多くの読者に格闘技の美学を伝えました。
1971年に日本大学を卒業し現役を引退した山崎氏は、東京中日スポーツ紙でボクシング・格闘技記者として活躍。試合会場を駆け回り、対戦分析や選手インタビューを執筆し、格闘技の普及に貢献しました。彼の豊富な経験に基づく記事は信頼性が高く、多くの読者に支持されました。
1980年代、全日本女子プロレス道場で特別コーチを務め、「クラッシュギャルズ」長与千種、ライオネス飛鳥らに空手技術を伝授。打撃を生かした独自のトレーニングメニューは女子プロレス史に新風を吹き込み、選手のパフォーマンス向上に寄与しました。
1990年代以降、山崎氏は「逆真会館」を設立し、幼児から高校生までを対象に無償で空手指導。貧困家庭や障がい児にも門を開き、スポーツを通じた青少年育成に尽くしました。指導方法は礼節重視で、心身の鍛錬と社会性育成を両立させたものでした。
数年前に胆管がんと診断されて以降も山崎氏は稽古場や道場を訪れ、生徒たちに生きる力を説いていました。最後まで稽古に立ち合い、「一生修行、一生青春」を体現し、永遠の「空手バカ」として後進に生きる姿勢を示しました。
訃報を受け、極真会館大山総本部、大山倍達師範の孫弟子ら、多くの門下生が「師の教えを胸に刻み、精進を続ける」とコメント。プロ格闘技団体も「先駆者の闘志を受け継ぎ、世界へ挑戦を続ける」と追悼の意を表明しています。
山崎照朝氏が築いた「真剣勝負の精神」と「礼節を重んじる心」は、空手界のレガシーとして後世に受け継がれるでしょう。逆真会館をはじめ各道場では、若手指導者の育成と大会運営の継続が急務となります。また、力石徹のモデルとしての文化的遺産も教材として格闘技文化の普及に活用されます。
「空手バカ」と呼ばれた山崎照朝氏は、生涯を格闘技と教育に捧げ、その生き様で多くの人々に影響を与えました。その闘志と誠実さを忘れず、私たちは次世代へ平和と挑戦の精神を伝える責務があります。山崎氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
コメント:0 件
まだコメントはありません。