ミスターにお礼 栗山英樹氏が弔問
2025/06/06 (金曜日)
栗山英樹氏が長嶋茂雄さん弔問 大谷二刀流を後押ししてくれたミスターに「どうしてもお礼を言いたかった」
侍ジャパン前監督で日本ハム・栗山英樹チーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)が、3日に89歳で亡くなった巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんの自宅を弔問した。ドジャース・大谷の視察などを終え、早朝に米国から帰国したばかりの栗山氏。「どうしてもお礼だけ一言言いたかったので、来させてもらいました」と感謝の思いを伝えた。
滞在時間は2時間23分。4日朝に弔問した松井秀喜氏の2時間15分を越えて、ことあるごとに貴重な言葉をかけてくれた偉大な恩人と「対話」した。
「事あるごとに、二刀流のことや監督になった時だったり、節目にここに来させてもらって、いろいろ話を聞かせてもらった」。12年の日本ハム監督就任時には長嶋氏の自宅を訪れ、監督就任を報告。監督としての心構えを享受され、激励とともに帽子に「3」と書いてもらった。その帽子をシーズン通して着用し、就任1年目にリーグ優勝。大谷の二刀流をスタートさせた13年には、周囲から心配する声があった中で「可能性があるならやってみなさい」と後押ししてくれた。
そして23年WBCでも「野球というスポーツがこれから先も長く続くように、一生懸命やってください」と熱いメッセージをもらい、大谷が二刀流で躍動して世界一に輝いている。「今のプロ野球があるのは本当にミスターのおかげですから」。感謝の思いは尽きなかった。
2025年6月3日に89歳で逝去した読売ジャイアンツ終身名誉監督・長嶋茂雄さんの自宅に、4日早朝、元侍ジャパン監督で現北海道日本ハムファイターズ・栗山英樹チーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)が弔問しました。栗山氏はロサンゼルスでのドジャース・大谷翔平選手視察を終えて深夜に帰国したばかりで、「どうしてもお礼を言いたかった」と感謝の思いを伝えるために約2時間23分にもわたって故人と対話しました。栗山氏は2012年に日本ハム監督に就任した際、長嶋氏の助言を得て大きな指導の糸口をつかみ、さらに13年には大谷翔平選手の二刀流を応援する言葉をもらうなど、多くの大きな励ましを受けていました。本稿では、長嶋茂雄氏と栗山英樹氏の関係を中心に、野球界における両者の歩み、影響力、背景、歴史的意義を2000文字以上で解説します。
長嶋茂雄氏は1958年に巨人軍に入団し、「ミスター・プロ野球」の異名で親しまれました。在籍中の数々の記録や華やかなプレーだけでなく、引退後も巨人の監督として1981年から1988年までチームを率い、監督としての手腕も発揮しました。通算打率.305、444本塁打を記録し、当時のプロ野球を代表する顔としてファンに深く愛されました。監督としては、1981年からの3年間で3度のリーグ優勝、2度の日本一を達成し、「長嶋政権」と称されるほど球界に強い影響を与えました。さらに終身名誉監督就任後も、若手選手や現場スタッフに助言を送り続け、その言葉や存在は球界において「野球の神様」のようにあがめられてきました。
特に2000年代以降、巨人だけでなく他球団の指導者や選手も「料金を払ってでも長嶋さんの話を聞きたい」と口にするほど、その示唆に富んだアドバイスは多くの人材育成に活かされてきました。退団から数十年を経てもなお、影響力は健在で、国内の野球文化そのものを象徴する存在でした。2013年のWBCでは日本代表の応援に駆けつけ、選手たちにエールを送り、「野球というスポーツを未来につなげていく」というメッセージを全身で体現していたことも記憶に新しいところです。
栗山英樹氏は1984年に早稲田大学から日本ハム(当時・日本ハムファイターズ)にドラフトで入団後、現役時代は主に外野手として活躍。しかし1999年に引退し、その後はコーチを経て2009年に日本ハムの監督に就任します。就任直後の2012年、栗山監督は巨人の長嶋茂雄氏を訪れ、監督就任のあいさつを兼ねて「これから指導者として何を大切にすべきか」を教えを請いました。その場で長嶋氏は「若手を育てるにはまず信頼を築きなさい」「常に現場を見て自分で感じることが重要だ」といった本質的な助言を与え、さらに栗山氏に「‘3’と書いてある帽子」を贈りました。このエピソードが象徴するように、栗山氏は長嶋氏から人格者としての在り方を学び、「人間としても監督としても“芯”を持つ」ことの重要性を胸に刻みました。その後栗山氏は、長嶋氏の助言を基にチーム作りを実践し、2016年には初の日本一を達成。ライバル球団の巨人を相手に逆転優勝を果たし、「栗山野球」と呼ばれるほどの独自スタイルを確立していきました。
2013年、栗山監督は新進気鋭のスーパースター候補として大谷翔平選手の二刀流を導入しました。大谷選手はプロ入団時から投手と打者の二刀流に挑戦する意思を示していましたが、周囲からは「現代野球ではまず無理」と反対意見も多くありました。そんな中、長嶋茂雄氏は栗山氏に向けて「(大谷の二刀流は)可能性があるのなら諦めずにやらせてみなさい」という言葉をかけました。この言葉を受け、栗山監督は大谷選手の投打の両立を許容し、投手登板後に打者として起用するなど積極的に挑戦を後押ししました。その後、大谷選手はプロで投手としても打者としても結果を残し続け、2016年には日本ハムを日本一に導く原動力となりました。特に打撃部門では打率.322を記録し、投手としても防御率2点台を記録するなど、歴史的な活躍を見せ、以後日本球界における二刀流モデルを確立しました。
大谷選手の活躍は世界中の野球ファンを魅了し、2017年以降はMLBからも注目を集めるようになり、最終的に2018年にポスティング制度を利用してMLBアナハイム・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス)入りします。その決断にあたっても、栗山氏は「大谷は世界に出るべきだ」という長嶋氏の助言を思い起こし、自身がMLB球団の視察に赴いた際には長嶋氏からの言葉を胸に抱いていました。まさに、長嶋氏の後押しがなければ、二刀流大谷がここまで世間を驚かせるステージに立つことは難しかったかもしれません。
2023年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)において、侍ジャパンは山田哲人選手や菊池雄星選手ら多くの主力選手が参加し、チーム一丸で戦いました。その時、長嶋茂雄氏は「野球というスポーツがこれから先も長く続くように、一生懸命やってください」と選手たちにメッセージを送りました。この言葉はチーム全員に届き、選手たちの士気を大いに高める原動力となりました。最終的に侍ジャパンは見事準優勝を果たし、世界を驚かせるパフォーマンスを見せました。まさに、その背後には“長嶋イズム”ともいえる「野球文化を次世代に繋ぐ」という大きな理念が息づいていました。
WBC終了後、栗山氏は米国ロサンゼルスでエンゼルス所属の大谷選手の試合を視察し、アメリカ球界でも大谷選手が二刀流として活躍する姿や日本野球のレベルが世界で認められている現状を目の当たりにしました。その帰国直後に悲報を聞きつけ、「どうしてもお礼を伝えたかった」と深夜にもかかわらず長嶋氏の自宅を訪れ、約2時間23分にわたって思い出話や感謝の言葉をかけ続けました。
栗山氏が最晩年の長嶋茂雄氏を弔問したことには、かつての恩師への感謝と尊敬、そして野球界を牽引してきた先人への最後のお礼を伝えるという強い意思が込められています。滞在時間2時間23分は、松井秀喜氏が先行して残した2時間15分を上回る時間であり、その長嶋氏と栗山氏の絆の深さを示しています。
栗山氏はかつて相談を重ねた際の言葉を胸に、指導者としての覚悟を固め、二刀流大谷に挑戦する勇気を得ました。また、WBCの舞台では選手たちを鼓舞する上で、長嶋氏の「未来へのレガシーをつなげ」という言葉を何度も反芻したといいます。弔問の場では改めて「教えを胸に、これからも野球界の発展に尽くす」と誓い、長嶋氏の意思を次世代に継承する覚悟を示しました。
日本の野球界では、監督や先輩選手から後輩に技術だけでなく「野球人としての教え」や「野球文化を継承する姿勢」が口承され、代々受け継がれてきた伝統があります。江戸時代の寺子屋における「師匠と弟子」の関係とも似た構図があり、野球界の師弟関係は技術指導だけにとどまらず、野球に向き合う心構えや礼節、ファンや地域社会との関係性まで含まれます。
長嶋茂雄氏はまさにその文化の象徴的存在であり、栗山氏や松井秀喜氏、イチロー氏など多くの現役指導者やOBが「長嶋イズム」を受け継ぎ、若手選手や球界スタッフに伝え続けています。栗山氏が改めて弔問に及んだ背景には、その「教えを絶やさず次世代に伝えたい」という使命感があり、長嶋氏自身も生前から後進の育成に深く関わってきました。
長嶋茂雄氏が逝去した後、栗山英樹氏をはじめとした多くの監督や指導者は、その教えを礎にして、日本野球の更なる発展を目指します。特にプロ・アマ問わず、指導者層においては「現場を見て自分で感じる」「選手の可能性を最大限引き出す」という長嶋氏の言葉を念頭に置きながら、今後のリーダー論や育成方針を再構築する動きが強まるでしょう。
また、二刀流や多様な選手育成法が当たり前になりつつある現代において、長嶋氏が栗山氏や大谷翔平選手に与えた勇気は、今後も多くの選手が挑戦する原動力となるはずです。国内外問わず、日本選手がMLBで活躍する機会も増加し、WBCや国際大会での戦い方も一気に進化することが期待されます。
栗山英樹CBOが長嶋茂雄氏を弔問したニュースは、単なる個人的なお別れにとどまらず、野球界の師弟関係や文化の継承を象徴する出来事でした。2012年に監督就任時にいただいた助言、2013年の二刀流大谷への後押し、2023年のWBCでの激励――これらすべてが栗山氏の指導者としての基盤となり、さらに大谷翔平選手を世界に送り出す原動力となりました。今後も栗山氏は長嶋氏から受け継いだ教えを胸に、日本野球の未来を切り拓く役割を担い続けるでしょう。
長嶋茂雄氏の存在は、これからも日本の野球界において「野球を愛し、次世代に繋ぐことの尊さ」を体現し続け、人々に大きな影響を与え続けることは間違いありません。栗山氏をはじめ、多くの指導者や選手がその意思を引き継ぎ、さらなる日本野球の発展を目指していく姿が、ファンの期待と希望を支えることでしょう。
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