突然の引退 宮間あやさんの現在
2025/06/07 (土曜日)
スポーツニュース
元なでしこ・宮間あやさん(40)突然の引退から9年。「大切なものを守るために、自分はどうなってでもがんばりたい」表舞台に戻ってきた理由
2025年3月、なでしこジャパンの黄金時代を支えた司令塔・宮間あや氏(40歳)が、日本サッカー協会(JFA)女子委員会の委員長補佐に就任しました。約9年にわたり一線から退いていた彼女が再び表舞台に立つ決断を下した背景には、“仲間”への思いと、なでしこジャパン時代から貫く「覚悟」の哲学がありました。[1]
宮間あや氏は1984年生まれ、広島県出身。幼少期から高い技術と冷静な判断力を備え、地元クラブを経て2003年にINAC神戸レオネッサに入団しました。中盤からゲームを組み立てる“司令塔”として評価され、国内リーグやカップ戦で数多くのタイトルを獲得しました。
代表として2004年にデビューし、2011年のFIFA女子ワールドカップ優勝、2012年ロンドン五輪銀メダル獲得に貢献。中盤での的確なパスコントロールと試合運びは「小さな巨人」と称され、チームを勝利へと導きました。
女子サッカーは戦前にも地域で行われていましたが、戦後の復興期に再始動。1989年になでしこリーグ(当時の全国女子サッカー大会)が創設され、リーグ戦による競技基盤が整備されました。1991年のJFA女子代表チーム結成以降、国際大会への挑戦が本格化しました。
2010年代に入ると、JFAは女子サッカーの普及促進に注力。2021年には日本初の女子プロリーグ「WEリーグ」が発足し、国内外の注目を集めています。
2011年のドイツ大会で日本代表は東日本大震災の影響を背負いながら、全員が「勝っても負けても人生を懸ける覚悟」で戦い抜き、初優勝を果たしました。宮間氏は大会直前の合宿で「優勝するという目標を1日たりとも忘れない」と宣言し、試合ごとに自分と向き合う姿勢をチームに示しました。[1]
この「覚悟」は、出場機会がないベンチ裏での声援や、途中出場で流れを変えるプレーなど、あらゆる場面で発揮され、チーム全体の士気を高めました。
2016年に現役を引退した後、宮間氏には指導者や解説者、行政からのオファーが数多く届きましたが、いずれも断り続けてきました。その理由は「自分の時間を大切にし、純粋に人生の新たなステージを模索したい」という思いからでした。
引退後は育成現場の視察や講演活動を行い、子どもたちへの技術指導やメンタルトレーニングを支援。また、国内外のスポーツビジネス動向を学び、サッカー界の持続可能な発展に向けた知見を深めていました。
2025年3月13日のJFA理事会決議を経て、佐々木則夫氏が委員長、能仲太司氏が副委員長に就任し、委員長補佐として宮間氏が名を連ねました。委員会は高校年代、プロリーグ、国際経験者など多彩なメンバーで構成され、女子サッカーの強化・普及、WEリーグとの連携、指導者育成など幅広い議題を扱います。[2][3]
女子プロリーグWEリーグは「社会を変えるスポーツをつくる」を理念に掲げ、地域密着型クラブ運営やD&I推進を図っています。委員会ではWEリーグと連携し、プロとアマチュアをつなぐ育成パスウェイの整備や、ファン拡大施策、商業化モデルの検討を進めます。[4]
米国ではUSSFが女子代表やNWSLを統括し、マーケティング支援や若手育成に注力。スポンサーシップ契約に基づく収益モデルが確立され、観客動員やメディア露出が高いレベルで維持されています。
イングランド(FA)は女子スーパーリーグを再編し、クラブのプロ化基準を強化。ドイツ(DFB)は地域リーグとの連携を重視し、競技基盤のボトムアップを図っています。
宮間氏は「仲間とともに培った覚悟を未来へつなげたい」と語り、女子サッカー界のさらなる発展に向けて邁進する意向です。
宮間あや氏のJFA女子委員会委員長補佐就任は、黄金時代の経験とリーダーシップを組織運営に取り込む画期的ステップです。引退から9年を経て戻った理由には、仲間との絆と揺るがぬ「覚悟」があり、これが次世代育成やリーグ発展の原動力となるでしょう。今後は国内外の先進事例を学びつつ、持続可能な女子サッカーのモデルを構築していくことが期待されます。
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