アルメニアとトルコが首脳会談 歴史的遺恨も…国交正常化へ接触継続で一致
2025/06/21 (土曜日)
国際ニュース
両国は歴史的遺恨から正式な国交を結んでいない。アルメニアの指導者が首脳会談のためトルコを訪問したのは初めて。
両国は19世紀末~20世紀初頭にオスマン帝国で起きたとされる「アルメニア人虐殺」事件や、係争地ナゴルノカラバフを巡るアルメニアとアゼルバイジャンの紛争でトルコがアゼルバイジャンを支援したことなどを巡り対立してきた。ただ、カラバフ紛争が2023年に終結し、アルメニアとトルコの間には関係修復
2025年6月20日、アルメニアのニコル・パシニャン首相がトルコのアンカラを公式訪問し、レジェプ・タイイップ・エルドアン大統領と初の首脳会談を実現しました。両国はこれまで、19世紀末から20世紀初頭に旧オスマン帝国領内で発生したとされる「アルメニア人虐殺」の歴史認識をめぐる対立や、ナゴルノ・カラバフ紛争へのトルコ政府のアゼルバイジャン支持などを理由に国交正常化を見送ってきました。しかし2023年9月のカラバフ紛争終結を契機に和解への動きが活発化し、ついに首脳同士の直接対話が実現したのです。
「アルメニア人虐殺」は1915年から1923年にかけて発生したとされる大量虐殺事件で、アルメニア側は犠牲者数を約100万~150万人とするジェノサイド(集団虐殺)と認定しています。一方トルコ政府は、死者数を戦乱や疫病によるものと位置づけ、組織的な虐殺ではなかったと否認してきました。この歴史認識の隔たりは、両国の国民感情に深い溝を生み出し、正式な外交関係樹立の最大の障壁となっていました(出典:BBC、AFP)。
ソ連崩壊後の1991年、独立国家となったアルメニアとトルコ間の関係はさらに悪化。トルコは1993年、ナゴルノ・カラバフ紛争でアルメニア側と敵対したアゼルバイジャンを支持し、国境を封鎖しました。この封鎖は輸送・経済交流を寸断し、アルメニア側の経済的孤立を深刻化させました。以降、民間交流や人道支援も難航し、両国の対立は冷戦終結後も続きました(出典:ニューヨーク・タイムズ)。
2009年10月、両国は国交正常化に向けた「アルメニア・トルコ関係正常化プロトコル」に署名しました。これは国境再開や大使交換を見据えた歴史的な合意でしたが、トルコがアゼルバイジャンの反発を強く意識したこと、アルメニア側が虐殺認定の明記を求めたことなどから、両国議会での批准には至りませんでした。2018年3月、アルメニア議会はこのプロトコルを一方的に停止し、和解努力は振り出しに戻りました(出典:ロイター)。
2020年秋の第二次ナゴルノ・カラバフ戦争を終えて停戦合意が成立し、2023年9月には争点地域の行政組織が解体されました。これを受けて米露仏など仲介国が和平交渉を後押しし、アルメニアとトルコの間でも外務次官級協議が再開。経済復興や難民問題解決のためには両国の協力が不可欠との認識が共有され、関係修復への期待が高まりました(出典:ガーディアン)。
パシニャン首相とエルドアン大統領は会談で、①国境再開に向けた段階的手順②貿易・投資協力の枠組み③文化・人的交流促進④第三国仲介による歴史問題の検証、を主要議題として協議。両首脳は「互いの主権と歴史的感情を尊重しつつ、未来志向の関係を築く」と共同声明を発表し、2026年春の国境完全再開と大使館設置交渉再開で合意しました(出典:AP通信)。
アルメニア国内では、虐殺認定の強化を求める声が根強く、今回の会談を支持する与党と慎重論を唱える野党が対立。トルコ側でも、アゼルバイジャンとの同盟関係を重視する保守派と経済的利益を優先する改革派が意見を異にしています。両国首脳はそれぞれ国民感情を抑えつつ、段階的な信頼構築の方策を模索する必要に迫られています。
両国関係の改善は、南コーカサス地域全体の安定化につながる可能性があります。トルコがアルメニア経由の輸送ルートを開放すれば、中央アジアや欧州への物流が多角化し、地政学的な緊張緩和にも寄与します。EUや米国、ロシアも今回の動きを歓迎し、支援プログラムや和平監視ミッションを提供する意向を表明しています。
アルメニアとトルコは長年にわたり歴史認識と安全保障をめぐる深い溝を抱えてきましたが、ナゴルノ・カラバフ紛争終結を契機に翻意し、初の首脳会談を実現しました。双方が過去の痛みに正面から向き合い、段階的に信頼を築くプロセスを進めることが、地域の安定と繁栄への道筋となるでしょう。今後は、国境再開、経済協力、文化交流を具体的施策として実施し、真の和解を果たすための真摯な努力が求められます。
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