「国のため働いた」 郷里離れ軍用機製造、台湾少年工の記憶 日本統治で「公正な精神」
2025/08/22 (金曜日)
国際ニュース
「日本に行って一番つらかったのは冬の寒さ。皆ずいぶん苦労した」。台中市の何春樹(か・しゅんじゅ)=(95)=は流暢な日本語で、先の大戦を振り返る。日本統治下の台湾では何を含む8400人余りの少年が志願し、故郷から2千キロ以上離れた神奈川県高座郡(現在の大和市、座間市など)の海軍工廠(こうしょう)などで軍用機の製造を担った。
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