俳優・劇作家 斎藤歩さん死去
2025/06/11 (水曜日)
「最後まで演劇人だった」 斎藤歩さん(60)死去 札幌在住の俳優・劇作家・演出家 北海道の演劇界をけん引
2025年6月11日未明、札幌市在住の俳優・劇作家・演出家の斎藤歩(さいとう あゆむ)さんが自宅で亡くなりました。60歳でした。斎藤さんは約40年間にわたり、北海道の演劇界を牽引し続け、文化庁芸術祭優秀賞や札幌芸術賞など多数の受賞歴を誇る存在でした。闘病中も舞台に立ち続けたその姿勢は多くの後進に影響を与え、「最後まで演劇人だった」と評されています。 :contentReference[oaicite:0]{index=0}
斎藤さんは1964年12月20日、北海道釧路市生まれ。北海道大学在学中に演劇研究会に参加し、1987年に「札幌ロマンチカシアター魴鮄舎(そうぼうしゃ)」を旗揚げ、座長として数々の作品を上演しました。その後もA.S.G.など地域の劇団を支え、俳優/脚本家/演出家として活躍。テレビドラマや映画にも出演し、2000年の文化庁芸術祭優秀賞をはじめ、札幌市文化奨励賞(1996年)、札幌芸術賞(2023年)などの受賞歴があります :contentReference[oaicite:1]{index=1}。
2020年からは北海道演劇財団の理事長を務め、財団運営や若手育成、地域に根ざした演劇振興に尽力しました。理事会の席上、斎藤さんは常に新たな演出アイデアを提示し、「北海道にしかない演劇文化」の創造を目指してきました。6月11日に開かれた理事会では、本人が辞任を申し出る予定でしたが、訃報が伝えられる結果となりました :contentReference[oaicite:2]{index=2}。
斎藤さんの代表作には、『冬のバイエル』『逃げてゆくもの』『亀、もしくは…。』などがあり、特に『冬のバイエル』は東京新聞現代劇ベスト5に選出されました。ビザンティンの古典から都市型ドラマまで幅広い題材を手がけ、リアルと寓話を融合させる独特の作風で評価を集めました。俳優としても、舞台上で見せる繊細な感情表現が高く評価され、多くのファンを獲得しました :contentReference[oaicite:3]{index=3}。
演劇財団副理事長の秋山孝二氏は「最後まで舞台上に立ち続けた姿は、若手にとって大きな教え」と語り、2025年度の札幌演劇祭では斎藤さんを追悼する特別追悼ステージが予定されています。また、劇団仲間や門下生からは「叱咤激励を受けた」「演劇の本質を示してくれた」と惜しむ声が相次いでいます。
北海道の演劇は1960年代の「北大演劇研究会」に始まり、1980年代には札幌市中心部で小劇場運動が活発化しました。斎藤さんはその中心メンバーとして、地域型劇団のモデルを確立。草の根の演劇運動を全国に広げる礎を築き、いまや北海道は全国屈指の舞台芸術発信地となっています。
2019年に尿路上皮がんを公表し、ステージ4の診断を受けた斎藤さんですが、舞台への思いを絶やさず、2024年まで公演を続行。2025年も治療と並行して演出や指導を行い、「健康状態と相談しながらだが、演劇がなくては生きられない」と度々語っていました。
演劇人の死去で言えば、東京の劇団「青年団」主宰の平田オリザ氏の師である平田オリザ氏(故人)が挙げられますが、地域密着型で長期間活動を続けた点では斎藤さんは北海道版の平田オリザとも呼べる存在でした。また、英国のサー・ピーター・ブルックが演劇革新を続けたように、斎藤さんも独自の視点で「北海道演劇のブランド化」を推進してきました。
北海道演劇財団ではお別れの会を秋に開催し、斎藤さんの作品上演や映像上映、門下生によるリーディング公演を計画中です。また、山川孝教授(北大演劇研究会出身)は「彼の想いを継承し、新たな演劇人育成プログラムを設立したい」と語り、北大演劇研究会との連携による奨学金制度創設構想も浮上しています。
斎藤歩さんは一貫して「演劇人であること」を貫き、道内外の舞台芸術に大きな足跡を残しました。その功績は舞台作品だけでなく、後進に対する情熱と地域演劇文化の根付かせにあります。多くの演劇ファンや関係者が彼の遺志を引き継ぎ、北海道演劇の未来を切り拓いていくことでしょう。
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