一茂 生放送で父・茂雄さんを語る
2025/06/06 (金曜日)
エンタメニュース
長嶋一茂、父・茂雄さんは「幸せだったと思う」きょうだいと最期の病室で「笑いも」 生放送で15分間語る
元プロ野球選手でタレントの長嶋一茂(59)が6日、テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」(月~金曜前8・00)に生出演。3日に肺炎のため89歳で死去した巨人軍終身名誉監督で父の長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんについて約15分にわたりしのんだ。
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一茂は時折言葉を詰まらせながら「凄く幸せだったと思う」と一言。「野球を始めてからもずっと戦ってきたし、21年前に大病発症してからの方がずっと戦ってきた」とした上で「その戦いの中で、ファンに喜んでもらうという、89年の人生を終えたと思います。僕は『終えた』という言葉を使いましたが、肉体的には見えなくなるけれども、心の中ではずっと生き続ける」としのんだ。
きょうだいたちと病室に集まった時のことを回想した一茂。「泣いているきょうだいはいなくて、笑い声さえ聞こえて」とあたたかな空間だったとし「妹たちと話したんですが、凄い奇麗な若い看護師さんがたくさんいた。妹は“パパは幸せだよね。こんな奇麗な看護師さんたちに見送られてさ”“パパ笑ったね”って言ってました」と会話を回想。「しんみりすることは一切なかった」と語った。
3日にはコメントを発表していた一茂。「長嶋茂雄が永眠致しました。 父にとって野球は人生そのものであり、最愛の存在でした」とし「父の野球人生は誰よりも幸せな89年間だったと感じております」と発表。
「長嶋茂雄は野球の星に帰りました…生前、グラウンドで残したたくさんの情熱がこれからの日本プロ野球界の発展に少しでも役に立つことを父も願っていたことと思います」などと記していた。
2025年6月6日、元プロ野球選手でタレントの長嶋一茂氏(59)がテレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」に生出演し、6月3日に肺炎で89歳で逝去した父・長嶋茂雄氏の最期の様子を約15分間にわたって語った。茂雄氏は「ミスター」と呼ばれ、読売ジャイアンツの終身名誉監督として日本プロ野球界を長年牽引してきたレジェンドである。病室では、肺炎や持病などと闘いながらも家族と笑い合い、温かな最期を迎えたエピソードが紹介された。一茂氏は「父は凄く幸せだったと思う」「心の中でこれからも生き続ける」と父への思いを述べ、父の偉大な人生と人柄をしのんだ。以下では、茂雄氏の経歴と功績、闘病生活、最期の病室でのやり取り、そして日本プロ野球界に与えた影響について解説する。
長嶋茂雄氏は1936年2月20日、千葉県市原市で生まれた。1954年に木更津高校に進学し、1954年夏の甲子園大会で準優勝を果たして注目を集めた。1957年に読売ジャイアンツに入団し、内野手として華麗な打撃と堅実な守備で活躍。通算打率.305、2471安打、444本塁打、1522打点を記録し、首位打者や本塁打王など数々の個人タイトルを獲得した。現役時代は「ミスター」の愛称で絶大な人気を誇り、日本全国の野球ファンに愛された。引退後は1975年に巨人の監督に就任し、わずか2年目の1977年にリーグ優勝、1978年にも優勝を果たすなど指揮官としても輝かしい実績を残した。その後も2001年に巨人の終身名誉監督となり、チームの顔として長くファンを鼓舞し続けた。選手としても監督としても日本プロ野球界に計り知れない功績を残し、「野球界の生ける伝説」と称された。
茂雄氏は2004年に前立腺がんを発症し、手術を受けて治療を続けた。2010年には急性心筋梗塞を発症し、以降も複数の持病と闘いながら公の場に立ち続けた。特に2022年頃から体調が思わしくなくなり、入退院を繰り返しながらメディア出演やイベント登壇をこなした。最後の三年間は主に病院で過ごし、自宅での生活はほとんど叶わない状況となった。病床でも闘志を失わず、ファンや球界の期待に応え続けた姿勢は多くの人々の心に刻まれている。長嶋一茂氏も、「大病を経てからの方がずっと戦ってきた」と父の不屈の精神について語り、「ファンに喜んでもらうことを信念として89年を生き抜いた」としのんだ。
一茂氏によると、茂雄氏の最期の瞬間は家族が集まる温かな雰囲気に包まれ、涙よりも笑いがあふれる場面だったという。病院の個室にはきょうだい四人が集い、誰一人泣くことなく、笑い声が響いていた。特に一茂氏は「父はとても幸せだったと思う」と語り、病室を明るく彩った家族の会話を振り返った。長島三奈氏(長女)と一茂氏のやり取りの中で、「病棟には綺麗な若い看護師さんがたくさんいた」「父は看護師たちに見送られて笑っていた」というエピソードが紹介され、「しんみりは一切なかった」と家族らしいほほえましい最期の様子を明かした。
茂雄氏の逝去を受け、一茂氏は6月3日の夜にコメントを発表した。「長嶋茂雄が永眠しました。父にとって野球は人生そのもの、最愛の存在でした。父の野球人生は誰よりも幸せな89年間だったと感じています」と述べ、さらに、「父がグラウンドで残した情熱が、これからの日本プロ野球界の発展に少しでも役立つことを願っていたと思います」と綴った。生放送中も涙をこらえながら「父は心の中でこれからも生き続ける」と語り、父への深い敬愛と感謝を伝えた。その姿は多くの視聴者の心に深く刻まれ、追悼の声が相次いだ。
茂雄氏には一茂氏をはじめ三人の子どもがいる。長女の三奈氏は芸能プロモーター、次男・正樹氏は元俳優、三男・茂平氏はプロゴルファーとして活躍している。子どもたちはそれぞれの分野で父の背中を追いながら成長し、家族としても強い絆で結ばれていた。三奈氏はかつてテレビ番組で「父は厳しい人だったが、その情熱は尊敬に値する」と語っており、家族間でも茂雄氏の野球への情熱が深く共有されていた。最期の病室でも、きょうだい間で笑い声が絶えなかったことからも、家族の愛情や絆の強さがうかがえる。
茂雄氏は現役時代に数々の記録を打ち立て、監督時代には選手たちから絶大な信頼を集めた。その影響は現在のプロ野球界にも色濃く残っており、多くのファンや選手、指導者たちが「ミスターの教えを受け継ぎたい」と語っている。終身名誉監督として球団運営や若手育成に尽力し、球団の顔として常にファンを鼓舞し続けた功績は計り知れない。引退後もテレビ解説や講演活動を通じて野球人気を支え、地元の少年野球教室やチャリティ活動にも積極的に参加した。その生き様と実績は、野球を志す若者たちにとって不動の指標であり続けている。
一茂氏は「父がグラウンドで見せてきた情熱は、これからの日本プロ野球界に生き続ける」と述べ、父の遺志を継いで若手の育成やプロ野球普及活動に尽力する意向を示している。現役時代の華麗なプレーや監督としての情熱的な采配、ファンサービスに対する真摯な姿勢は、多くの人々に感動を与え続けてきた。
最期の病室で笑顔を絶やさなかった茂雄氏の姿は、その人柄を象徴するエピソードとして語り継がれる。現役時代から「いつまでも若々しい」「ユーモアを忘れない」と評されたが、最期を迎えるまで闘志を失わず、家族に囲まれて笑顔で見送られる様子は、多くのファンにとって忘れられない光景となった。茂雄氏の人生観は「野球を楽しむこと」「ファンと喜びを分かち合うこと」が根底にあり、最後の瞬間までそれを貫いた姿勢は、多くのスポーツファンにとって生きる指針となった。
茂雄氏の逝去を受け、プロ野球界や芸能界、政財界から多くの追悼コメントが寄せられた。読売ジャイアンツ球団は「球団の屋台骨であり、常にチームを鼓舞し続けた」と公式声明を発表し、現役選手やOBも「ミスターの背中を追いかけてきた」と追悼の意を示した。スポーツメディアは「日本野球の象徴がまた一人、偉大な役割を果たした」と報じ、一般のファンもSNS上で「青春そのものだった」「あの笑顔を忘れない」といったコメントを多数投稿した。
茂雄氏の遺骨は家族葬の後、読売グループ主催のお別れの会で偉大な功績をしのぶ式典が開かれる予定である。「お別れの会」には、プロ野球界関係者や政財界・芸能界など多数が参列し、国民的スターの最期を見届ける。長嶋一茂氏は今後も父の遺志を継ぎ、若手選手育成や球団の普及活動に尽力すると表明している。長島三奈氏はプロモーターとしてイベント企画やファン交流を進め、茂雄氏が築いた「野球文化」を次世代へつなげるために活動を続ける見込みだ。
長嶋茂雄氏は「ミスター」の愛称で知られた日本プロ野球界の象徴であり、選手・監督として計り知れない功績を残した。最期は病室で家族に囲まれ、笑顔で見送られるという温かなエピソードが印象的であった。一茂氏が生放送で語った「父は幸せだった」「心の中で生き続ける」という言葉は、多くのファンの心に深く刻まれた。
茂雄氏の生き様はスポーツを超え、日本社会全体に「情熱を持ち続けること」「家族や仲間を大切にすること」の大切さを示した。今後も長嶋家は、父が築いた「野球の文化」を継承し、若い世代へ情熱や努力の尊さを伝えていくことだろう。偉大な父をしのびながら、新たな世代が長嶋茂雄氏という「野球の星」に学び、日本プロ野球界をさらに盛り上げていくことが期待される。
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